庚申塔写真 撮影日記(その5) 上柳三宮神社庚申塔の紹介
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今回は上柳三宮神社の庚申塔をご紹介します。 写真を保存しているHPでは春日部市内を8ブロックに分けて掲載しています。上柳三宮神社には庄和地区南部にある庚申塔76基(R7/06/01現在)の内の5基で、境内にある上柳集会所の入口付近に2基、路傍に3基と2個所に分散しています。所在地の確認は 5基の内訳は次の通りです。 この内②を除いた4つの庚申塔についてご紹介しましょう。 先ず①は、 庚申塔が単に庚申の2文字となっている庚申塔は多々ありますが、祭となっている塔を見つけたのは、ここが初めて。 この庚申塔から、私たちはこんな勝手な想像をしてみました。 即ち、この庚申塔を造立した講の皆さんは、庚申の日に寝込んでしまうと体内から三尸(サンシ)の虫(※)が抜け出し天帝に罪過を告げ口されてしまうので、他所のただ集まって談笑しながら夜を過ごすのでは無く、寝込まぬようにお祭りのように賑やかにしてドンチャン騒ぎをして眠気に耐え一夜を明かした。故に、敢えて祭と書いたのかも知れない、と。 これは、私たちの勝手な解釈ですが、意外と当たっているのかも知れません。 ※三尸(サンシ)の虫についての説明は、 こちら をお読み下さい。
この他、市内には庚申塔と書かず、孝心尊と書かれた庚申塔が一ノ割駅近くの一ノ割香取神社境内にもあります。当初、これは庚申塔では無い、と思いましたが、塔の下部に三猿が彫られていたので、庚申塔の一つと断定しました。 ただ、調べてみると孝心尊という言葉は、親に対する敬意や思いやりの気持ちを指す言葉の由。この言葉が庚申塔とどうつながるのかちょっと理解出来ないでいます。ご存知の方はご教示下さい。所在地は
次は③の庚申塔。 ⑤のように、一人単独で庚申塔を造立している塔も時々目にします。財力があるから一人で造立出来たのかも知れません。しかし、塔には講に関わった人の名前が数人から数十人刻まれていますので、通常は講を組みお金を出し合って庚申塔を造立したようです。 しかし、③の庚申塔は、左側面上部に上柳/上金崎の二組の講が記されています。両講同士が仲が良く協力しあったのか、造立資金が足らなかったのか理由は解りません。
このように2講の名が連盟で記された塔は、市内には豊春地区の東西寺境内①にもありますがそう数多くはありません。
④の庚申塔は道標の役目もしていました。 市内で道標といえば「粕壁東1丁目」の交差点付近にある道標
こちらは市街地にあり目に付く道標ですが、上柳三宮神社にも庚申塔の姿で道標がひっそりと佇んでいます。
はっきりとは読めませんが、左側面は、東てたし■/南かなすぎ、右側面には西かすかへ/北■■■■と書かれています。 造立は延享4(1747)年11月ですが、今から270余年前のこの辺は人通りも多く道案内として目立ち貢献したのでしょう。 道標を兼ねた庚申塔は、市内にはここ以外にも数か所あります。例えば;- 香林寺境内の庚申塔③ (内牧地区:所在地 最後に⑤の庚申塔。 前回ご紹介しましたように、庚申塔の三猿は、烏帽子を被ったりして結構面白い姿の猿が彫られていることがありますが、青面金剛立像が踏み懲らしめている邪気も姿が様々です。殆ど顔が左ですが、数は少ないものの右に顔があったり真ん中にあったりする邪気も見受けます。 しかし三宮神社⑤の邪気は、これ等とちょっと異なるのです。滑稽にもヒゲが生えています。笑っゃいますね。こんな邪気を見たのは初めて。珍しいですね。 庚申塔を掘る石屋さんが、猫でも見ながらこの世に存在しない邪鬼を想像しながら彫ったのでしょうかね。 以上で三宮神社の庚申塔に関しての紹介を終えます。 お近くに通り掛かったら是非立ち寄ってみて下さい。
最後までお読みいただき有難うございました。
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