「桐の会(ポロウニア・クラブ)」会報 街の散策:61 神田川中流域散策1 江戸川公園
「桐の会(ポロウニア・クラブ)」会員各位
■ 「桐の会(ポロウニア・クラブ)」 会報のお知らせ 会員:K.T.
こんにちは。2026年9月の会報をupします。暦の上では、秋ですね。立秋(8月7日)から立冬(11月7日)の前日までを秋、気象学上では9月1日から11月30日までが秋となっています。朝夕の風に、少し秋を感じるころになりました。しかし、まだまだ、残暑が続いていますので、体調にくれぐれもご用心ください。さて、街の散策は、散策エリアを広げています。脳トレを兼ね、歴史という膨大な過去の時間軸と併せ、現地・現物・現実を見て、「知るを楽しむ」、学びの散策を続けていきましょう。
■「桐の会(ポロウニア・クラブ) 会報 街の散策


【街の散策からの気づき発見】会報 September 1, 2026
61 神田川中流域散策1 江戸川公園
神田川の関口大洗堰跡を見ようと、春日部駅から半蔵門線で永田町経由、東京メトロ有楽町線の江戸川橋駅に来た。江戸川橋駅1a出口を出ると、目の前に神田川が流れている。江戸川橋を渡り、江戸川公園に入る。この公園の中に関口大洗堰跡が復元されている。関口大洗堰とは、神田上水の水位を上げるために川幅いっぱいに築かれた堰である。堰での上水は人工の水路に導かれ、余水は堰を超えて江戸川(神田川)に落とされた。現在の大滝橋のあたりにあったらしい。神田川に架かる橋の名前に江戸川橋とあるのは、理由がある。神田川は古くは平川と呼ばれていた、現在の飯田橋付近から日本橋川に流れ、日比谷入り江に流れ込んでいた。江戸市中へ上水が引かれてからは、源流から杉並区・中野区付近が上流で神田上水と呼ばれ、下流を江戸川と呼んだ。神田山が開削され、川筋が現在の流れに瀬替えされてからは、中流域は江戸川、神田山から下流は神田川と呼ばれた。明治になって、神田上水が止されてからは上流も神田川と呼ばれるようになり、昭和の河川法改正によって全て神田川の呼称で統一された。江戸川橋と江戸川公園の名称はこの歴史によるものだ。江戸川公園は、神田川沿いに造られた細長い公園である。大正8年(1919)神田川の護岸工事が完成したときに、東京市によって造られ、関口大洗堰を保存史跡として、公園内に復元した。現在の公園は昭和59年(1984)、神田川の拡幅工事の際、改修された公園で、ぐるりと廻る周回コースはない。神田川沿いに片道約1kmの遊歩道が整備されている。緑豊かな公園の遊歩道を歩いていくと、関口大洗堰跡を復元した建造物や碑等がある。
傍に、「注意 この流れは観賞用です。流れの中には入らないでください。 文京区」、と無粋な看板も立っている。私見ながら、このあたりの神田川は堀が深く、子供達は水辺には行けない。『公園内の復元施設なので、子供達が水に親しめるような施設を作ればいいのに。』、と思う。復元施設の傍に水を循環させた水遊びができる場所をつくり、『ここは水遊びができます。』とし、復元施設の注意看板の代わりに高札(幕府の法律周知看板)を復元して、『この上水道において魚鳥を取り、水を浴び、塵芥を捨て、物を洗う輩あれば曲事(くせごと/過ちや不正)たるべき者なり』、とし、補足説明で、「江戸時代は、神田川の水を飲み水にしていたんだよ。だから川に水を綺麗に保つために高札を立てて、水を汚す行為を厳しく禁じていたんだ。」というようにすれば、復元施設は、ただ保存するだけでなく、水遊びの中で、子供達が歴史や川の環境を学べる場所になるだろう。この公園は子供達が遊びの中で、川と飲み水のこと等、自然学習の空間を提供する場でもあって欲しい。
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