春日部市市民活動センター ぽぽら春日部活動紹介社会教育・生涯学習・生きがい 「桐の会(ポロウニア・クラブ)」会報 環境学習:E24 2026年5月度 「江戸東京博物館」見学会

 「桐の会(ポロウニア・クラブ)」会報 環境学習:E24 2026年5月度 「江戸東京博物館」見学会

公開日:2026年05月15日 最終更新日:2026年05月15日
登録元:「キリノカイ

■ 桐の会(ポロウニア・クラブ) 会員各位  

  桐の会 会報・環境学習会のお知らせ        会員 K.T.

  こんにちは。5月の「環境学習会」・会報です。「環境とは、何か?」、を復習してみましょう。日本語大辞典では、「広く生物が生活する場の周囲の状態。人間では、自然環境・社会環境などに分けられる。」、と記載されています。「自然環境は、大気・水・土壌・動植物・地形・気候など」、を指し、「社会環境は、政治・経済・文化・制度・生活環境など」、に分けられます。いわば、私達の身の回りの全てを指すと、いえます。「文化」も環境学習になります。そこで、今月の環境学習会は、先般の江戸東京博物館の見学会で学んだ「江戸・明治・大正・昭和の歴史と文化」を振り返り、脳トレを兼ね、学習をすることにします。併せて、「地球の自然環境・社会環境に何が起きているか」、「私達は、何ができるか。」等、を学びの中で考えていきましょう。

 桐の会 会報:「環境学習会 2026年5月度」

E24(1)IMG_3246 江戸東京博物館見学会(1) E24(2)IMG_3227 江戸東京博物館入口 E24(3)IMG_3228 入場・江戸時代へタイムスリップ E24(4)IMG_3230 江戸時代の街並み2 E24(7)IMG_3237 明治時代の銀座

E24(8)鹿鳴館 E24(8)IMG_3238 浅草・凌雲閣 E24(10)IMG_3240 東京の人口増加と推移 E24(13)IMG_3243 東京都の水質汚濁 E24(11)IMG_3241 東京都区部におけるゴミ量推移

 境学習2026年5月度 E24 :「江戸東京博物館」見学会     May 15, 2026                                  

  江戸東京博物館へ向かう途中、本日の見学会メンバーと次々に合流した。チケットのQRコードを6Fゲートにかざし入館、目の前に実物大といわれる日本橋がある。この橋をわたると、江戸ゾーンへタイムスリップする。「ここからの約3時間弱は、各々興味のある展示をじっくり見る自由見学、13:15分頃に1Fのレストラン前で待ち合わせましょう。」、とした。江戸ゾーンは、E1E10まである。E10のエリア、嘉永6年(1853)、アメリカ東インド艦隊司令官ペリーが率いる黒船来航から15年後、慶応4年/明治元年(1868)、江戸幕府は倒壊した。江戸は、幕府陸軍総裁の勝海舟と東征軍参謀の西郷隆盛の会見により、奇蹟的な無血開城が決定、江戸は戦火で焼失することを免れた。時代は江戸から明治に改まり、新政府が成立した。次の東京ゾーンへ移動する。ここまでで、約2時間が経過、少々足腰が痛くなってきたので、座って休憩した。

私は明治という響きから、司馬遼太郎 著『坂の上の雲』を思い出す。冒頭に、「まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている。」、明治後半の日露戦争を題材にした氏の小説であるが、明治という時代の気風を表している。司馬遼太郎は文中で次のように述べている。「(前略)明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。産業といえば農業しかなく、人材といえば3百年の読書階級であった旧士族しかいなかった。この小さな世界の片田舎のような国が、はじめてヨーロッパ文明と血みどろの対決をしたのが、日露戦争である。その対決に、かろうじて勝った。その勝った収穫を後世の日本人は食い散らかしたことになるが、とにかくこの当時の日本人たちは精一杯の知恵と勇気と、そして幸運をすかさずつかんで操作する外交能力のかぎりをつくしてそこまで漕ぎ付けた。今からおもえば、ひやりとするほどの奇蹟といっていい。(後略)」、

「東京ゾーン」T1T10は、明治・大正・昭和の近代日本、日露戦争・日中戦争・太平洋戦争、そして敗戦で焦土となり、焦土から復興した時代を展示している。東京ゾーンに入っていった。T10のエリア、ここは、高齢者達には体験してきた生活用品の時代変化が展示されている。また、近代日本の高度経済成長期の負の部分も見ることができる。昭和30年(1955)から不法投棄が社会問題となってきた。河川は急速に汚染されていった。当時は環境に関する関心が薄く、河川への不法投棄は絶えなかった。水質や大気汚染・騒音・ごみ等の都市公害に対し、生活環境を守るための住民運動が発生した。昭和40年(1970)代は江東区と杉並区の間でゴミの受け入れ拒否の東京ゴミ戦争が起きた。人口の急増、ゴミの急増、河川汚染は大きな社会問題になっていた。かっては、「春のうららの 隅田川 のぼりくだりの 船人が ♪」、と歌われた隅田川の昭和36年(1961)の状況は、メタンガスの泡が音を立てて浮かび上がっており、「川というよりドブのようだ。」といわれた。このため伝統行事となっていた両国の花火大会や早慶レガッタは昭和36年に中止となった。水質汚濁の主な原因は、隅田川沿岸と上流の新河岸川沿岸にある工場の排水と石神井川や神田川の支流河川から流入する家庭排水によるものだった。隅田川の汚濁は公害問題としてとりあげられ、「水質保全法」・「工場排水の規制に関する法律」・「利根川からの隅田川浄化用水の導入」・「汚泥の浚渫」・「下水道の普及」等の施策がとられた。東京の環境改善の最大の推進力となったのが、昭和34年(1959)にオリンピック東京大会が昭和39年(1964)に開催することが決定したことだった。世界の注目を集めるオリンピック開催都市として、その名に恥じない環境と施設を整備することが厳命された。当時、「死の川」と化していた隅田川の浄化対策が強力に進められた。やがて、山の手線内側では、ほぼ下水道が普及、東京23区では5つの下水処理場で汚水の処理が行われるようになった。このような取り組みで、隅田川の浄化が進み、昭和53年(1978)には、両国の花火大会と早慶レガッタの伝統行事が復活した。などなどと、展示をみながら歴史と文化の変遷を考えていた。ふとみると、少し前に車の展示を見ていたYさんがいる。「そろそろ集合時間になりますよ。」、という。『ここは面白い、歴史と文化を視覚的に学習できる。』、と思う。「江戸東京博物館」見学を終了し、予定の1F待ち合わせ場所に向かった。

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環境学習 E24 江戸東京博物館見学会v2

 

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