春日部市市民活動センター ぽぽら春日部キリノカイ活動紹介社会教育・生涯学習・生きがい 「桐の会(ポロウニア・クラブ)」会報 街の散策:46 中川散策2・「ながぬま橋付近と五ヶ門樋」

 「桐の会(ポロウニア・クラブ)」会報 街の散策:46 中川散策2・「ながぬま橋付近と五ヶ門樋」

公開日:2026年02月01日 最終更新日:2026年02月01日

「桐の会(ポロウニア・クラブ)」会員各位

■ 「桐の会 会報」のお知らせ                 会員:K.T.

 こんにちは。はやくも、2月に入りました。今月の会報をupします。脳トレと好奇心の維持を兼ねた学習会を続け、健康に気を付けて、元気に日々を過ごしていきましょう。

  「桐の会(ポロウニア・クラブ) 会報 街の散策 

  46(1)IMG_2746 ながぬま橋  46(2)IMG_2747 ながぬま橋から中川上流  46(3)IMG_2749 ながぬま橋から中川下流  

 46(5)IMG_2744 五ヶ門樋2  46(4)IMG_2743 五ヶ門樋 説明看板   46(6)IMG_2751 五ヶ門樋2(中川右岸) 

   【街の散策からの気づき発見】会報   February 1, 2026

     46 中川散策2・「ながぬま橋付近と五ヶ門樋(ごかもんひ)」  

 中川散策2は、前回の「散策39新川橋付近」に続いて、下流の「ながぬま橋」付近と橋から700mほど下流にある「五ヶ門樋」を散策した。五ヶ門樋は、煉瓦造りの樋門では、めがね橋(旧倉松落とし大口逆除/春日部市八丁目710番地)明治24年(1891)と概ね、同時期、明治25年(1892)に造られた。

 五ヶ門樋の看板説明によると、

「埼玉県指定有形文化財(建造物)五ヶ門樋付中庄内樋管1基、排水機場跡1基  平成27年(2015)3月13日指定五ヶ門樋は、現存する煉瓦造りの樋門としては、県内で四番目に古いものです。煉瓦を四重に並べアーチを形作り、その上には、『五ヶ門樋』のプレートが設置され、最上部には煉瓦で凹凸を表現した装飾が施されていることが特徴となっています。現在では庄内古川からの逆流防止のため扉は外され、自然排水の樋門として使用されています。古くから庄内古川の流域では、大雨の際の増水で農作物に影響が生じていました。五ヶ門樋は明治25年(1892)に庄内古川左岸の新堀悪水路(排水路)に設置されたもので、通常時は自然排水、洪水時には扉を閉めて逆流防止の機能を果たしました。しかし、自然排水のみでは年々上昇する庄内古川の水位に対応できず、明治40年(1907)に排水機場が建設されました。庄内古川の改修後は、自然排水が可能となり、排水機場は撤去され、鉄筋コンクリート製の中庄内樋管が新たに設置されました。              令和2年(2020)3月 春日部市教育委員会 」

“めがね橋”や“五ヶ門樋”は、現在134年余を経ても、現役で残っている。中川の流路は、低地を流れているため、水害の多い地域だった。越谷市デジタルアーカイブに、明治の大水害の様子が掲載されている。

 「明治23年(1890)8月22日から23日にかけて降雨が激しく、23日には利根川沿いで北埼玉郡須賀村大字下中条地先の堤塘が五九間決壊し、下流の南埼玉・北埼玉・北足立・北葛西の四郡下に氾濫、大被害を与えた。(中略)灌水は13日間にも及び、このため田畑作物の損耗は甚だしく、(後略)」、とある。「五ヶ門樋」は、この時の水害で木製構築物が壊れ、煉瓦樋に建て替えられた。

 川の流域には、多くの先人たちの水との戦いの歴史がある。2019年に荒川防災講義で受講した、「水防災意識社会再構築ビジョン」を思い出した。「施設の能力には限界があり、施設で防ぎきれない大洪水は必ず発生する」として、「『逃げ遅れゼロ』・『社会経済被害の最小化』、減災を目指す」、としている。私達は防災施設での安全に慣れ過ぎている、と思う。過去の災害を学び、災害への備えに目を向ける必要がある。

    *↓PDF詳細は、こちらから見てください

 46 中川散策・五ヶ門樋(ごかもんひ)

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