「桐の会(ポロウニア・クラブ)」会報 街の散策:37 富多神社散策で神楽を考える
公開日:2025年09月02日 最終更新日:2025年09月02日
■ 「桐の会(ポロウニア・クラブ) 会報 街の散策
[ 街の散策からの気付き発見 ]
37 富多神社散策で神楽を考える September 2, 2025
榎地区の榎囃子神楽を見にいった際、「榎の香取神社は神間地区の富多神社に合祀されている。」、「祭りは、富多神社に安置されている神輿を榎に迎えることから始まり、神楽が終わって、神輿を戻すことで終わる。」、と聞いた。富多神社を散策することにした。こじんまりとした境内には、りっぱな神楽殿を要している。ネットで、『埼玉県の神社を探す』から、「富多神社」の説明をみると、「当社は、富多村内に鎮座していた十二社を合祀して大正14年(1925)に新設され、富多神社と称した。(後略)」、とある。このあたりは、農業地帯で水の管理や地縁関係が継続している地域だ。そのため神楽の民俗芸能が残っているのだろう。神楽を調べたことがある。諸説あるも、神楽の語源は「神座(かみくら)」で、それが「かむくら」・「かぐら」と変化してきた、という。神座は神が降臨するところ、ここに神を招き、その前で魂の復活を願うなどの祈祷や歌舞をしたのが神代の時代の神楽の古い姿だった。神楽は神話の時代から登場しており、日本の芸能の始まり、といわれる。能の大家、世阿弥(1363~1443)の『風姿花伝』の著作の中に、神楽の由来が記されている。
「第四 神儀云(しんぎにいわく)
一.申楽、神代の始まりといふは、天照大神、天の岩戸に籠り給ひし時、天下常闇になりしに、八百万の神達、天の香久山に集り、大神の御心をとらんとて、神楽を奏し、細男を始め給ふ。中にも、天の鈿女の尊、進み出て給ひて、榊の枝に幣を附けて、声をあげ、ほどろを焼き、踏み轟かし、神憑りすと、歌ひ、舞ひ、かなで給う。その御聲ひそかに聞こえれば、大神、岩戸を少し開き給ふ。国土また明白たり。神たみの御面、白かりけり。その時の御遊び、申楽の始めと云々。委しくは口伝にあるべし。(後略)」
かって、神楽という民俗芸能は、一つ一つの集落に存在していた。神楽の背景には、自然信仰・五穀豊穣・暮しの安全への祈りがあった。神楽は、神霊を鎮めるあるいは慰めるために演じたもので、神に捧げる舞踊であった。春日部市に江戸時代からの民俗芸能の神楽や囃子が伝承されていることは、貴重なことだ、と思う。少子高齢化、生活様式の変化、多様化する住民等で、従来の血縁・地縁の地域コミュニティは崩壊しつつある。未来へ持続可能な民俗芸能の伝承には、官・民・学校等、地域全体で支援することが必要だと思う。
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